第21章【段階的座標系と重力の存否】

 複数の円運動光子が一つの電子を形成し、その電子2個が対となってさらなる円運動を行い一つの陽子を形成するというのは、光子・電子・陽子の三つの粒子は、よりミクロからよりマクロへと段階的に成り立っていることを意味する。ということは、それら三つの粒子を記述しようとする際の座標系についても、やはりよりミクロからよりマクロへと段階的に成り立っているものと考えられる。

 たとえば第11章で述べたように、第1座標系において複数の光子が円運動を行うとき、その円軌道は無限に収縮するが、続く第2座標系においてはそれら複数光子の全体である一電子は、一定の大きさを持つと同時に無限に拡がる拡張場を持つものとして見いだされる。

 ならばそこで、第2座標系において2個の電子が対となって円運動を行うという場合には、その一対の電子は、円環状の回転拡張場を纏ったリング状電子となって回転運動を行いながら無限に拡張し膨張するが、その全体である一つの陽子は、より高次な段階(よりマクロな段階)に想定される第三の座標系において一定の大きさを持つと同時に、無限の彼方にまで作用する収縮場を持つということになる。

 ※{右下図のように、円環状の回転拡張場を纏った一対のリング状電子(無限膨張する陽子)を、略して

   円環状対電子と記すものとする。}

 第1座標系において円運動を行う光子は、1x軸1y軸が構成する2次元面の円軌道に沿って右回りに変位すると同時に、その円軌道の収縮にともなって中心点に向かっても変位していることになるが、1z軸方向についての変位は一切ない。ということは、このような1x1yの二次元面でのみ変位する複数光子を記述しようとする際の第1座標系は、平板状の平面的な座標系でよいということになり、一定不変な電子を記述する第2座標系においては、その平面的な第1座標系そのものが、みるみると拡がる拡張場(電子の電場)そのものに姿を変えて現れているということができる。

 また第2座標系において、無限に拡張する円環状対電子(円環状拡張場を纏った一対のリング状電子)であるが、この場合の対となったリング状電子については、下図2z軸2y軸が構成する2次元面でのみ拡張するが、それを包み込むように展開している円環状拡張場は右図のように2x軸も含めた三次元上の拡張を為している。


 ということは、第2座標系における円環状対電子は、三次元上にみるみると拡張し続けることになるが、続く第3座標系においては一定不変な大きさを持つ一個の陽子として現れていることになり、この場合にかつての第2座標系はその陽子の中心点を目指して、みるみると吸い込まれるかのように展開する収縮場に変貌しているということになる。

 したがって、第3座標系における一定不変な大きさの一個の陽子とは、第2座標系におけるみるみると拡張(膨張)するかつての円環状対電子のことに他ならず、また第3座標系における陽子の収縮場とは、かつての第2座標系そのもののことに他ならないということができ、もっとも基本的な光子の円運動は第1座標系において、拡張場を放つ電子は第2座標系において、また収縮場を持つ陽子は第3座標系において記述されることになる。

 この場合に、光子の円運動を記述する第1座標系は、第2座標系における電子の拡張場へと姿を変えて現れ、みるみると拡張する円環状対電子を記述する第2座標系は、第3座標系における陽子の収縮場へと変貌して現れているのであるから、それら3種の粒子を記述する三つの座標系は、よりミクロからマクロへと埋め込まれ積み重なりながら、段階的に成り立っているものといえる。

 そうすると、この段階性においては、第1座標系は電子の拡張場として第2座標系のなかに埋め込まれ、第2座標系は陽子の収縮場として第3座標系のなかに埋め込まれているのであるから、我々巨視的世界の観察者から観れば、第1座標系においてみるみると無限収縮する電子の姿や、第2座標系においてみるみると無限拡張する陽子の姿は、もはやいかなる方法を用いようとも、永久に観測されるべきものではなくなっているのである。

  

✧電子の拡張場と陽子の収縮場について

 三次元上の放射状に出ていく正電荷、放射状に入る負電荷といったそれら電荷についての従来の約束事は、本論においてはすべて真逆なかたちに書きかえられなくてはならない。ならば、電子と陽子の相互作用(電磁相互作用)のあり方についても、これはその根本から書き直されなくてはならず、そこには従来のものとは異なる新たな原子の描像が浮かび上がってくるはずである。

 たとえば、水素原子内の電子であるが、これは右図のように陽子がもっている収縮場の働きにより、速度vで遠ざかろうとする電子に常なる向心力が与えられているからこそ、その円軌道運動が実現しているものと考えられる。

 一方、電子が持つ拡張場であるが、これは第15章で述べたように、その速度vが大きいほど拡張場はより速く回転し、その半径は速度vが大きいほどより小さくなるのであるから、この拡張場の作用がおよぶ範囲は、その半径内に限られているものと考えねばならない。

 ということは、この回転する拡張場は、その中心点から外に向かってみるみると拡がりながら回転しているのであるから、そこには外に拡がっていく力と回転の力が併存していることになり、いわば電場と磁場が重ね合わさってその半径内に閉じ込められている状態になっていることになる。


 これらをあえて量子論的な解釈で言い換えるならば、そこには無数の光子がその半径内に閉じ込められているのと同様な状態になっているのであって、この場合に電子と陽子は、仮想光子としてのいかなるゲージ粒子を交換しているわけではないことになる。

 また、ボーアの原子模型によると、電子の運動方程式は

       mv/r=k/r   ※{k=クーロン定数}

と表され、左辺が円運動を行う電子の遠心力を表すのに対して、右辺は+の電気量を持つ陽子が、これとまったく同じ電気量-を持つ電子に及ぼすときのクーロン力を表している。

 しかし本論においては、円運動を行う電子にその向心力を与えているのが陽子の収縮場であり、その陽子は対となった二つの電子によって構成されているのであるから、陽子はそれ一つでも、すでに[k/r]なるクーロン力を持っているのではないのかと推考される。

 すると、引力としての[k/r]なるその力は、それぞれになる電荷を持った電子と陽子の相互作用によって生じたものではなく、単独の陽子がもともと持っている収縮場の強さを表すものと考えられ、現在知られている陽子の電荷質量比(/m)とは矛盾するものの、この場合の陽子が固有に持つ電荷量は、電子と同一の電荷素量(1,602×1019)ではなく、であるものと推論されるのである。

 

✧電気的に中性な水素原子

 ところで従来の電磁気学によると、一個の水素原子は電気的に中性であり、+なる電荷を持つ一個の陽子の周囲を、-なる電荷を持つ一個の粒子状の電子が円運動するとき、その水素原子全体が持つ正味の電荷量は結果的にゼロになるものとされる。しかしこのことは、本論における解釈によるならば次のように書き換えることができる。

  すなわち、 陽子の収縮場が持つ力の作用によって円運動を行い、やがて一つの輪につながったリング状電子は、円環状拡張場を伴いながら全体として右図のような回転運動を為しているのであるが、この場合に、リング状電子と陽子の距離は、円環状拡張場の半径と同一のボーア半径(約52,9pm)であり、その円環状拡張場は中心に位置する陽子とリング状電子の間に入って、その距離を一定に保つ働きを為しているものと考えられる。

  そして前章で述べたように、中心に位置する陽子がもつ収縮場の求心力と、ボーア速度で回転するリング状電子がもつ遠心力とが拮抗するときのその距離が、すなわちボーア半径52.9pmなのであるから、この場合の求心力と遠心力の強さは、当然等しいものでなくてはならない。ということは前出のように、陽子が持つ収縮場が[k/r](r=52,9pm)なる向心力を持つのであれば、リング状電子もまた同一の強さの遠心力を持つはずであるということになる。


  したがってこの場合のリング状電子は、陽子が持つ電荷量と同一のであるものと考えられ、すなわちボーア速度で直進しようとする電子が、陽子がもつ収縮場の働きにより円軌道上の加速度運動をなすとき、それまでの電荷量が通常の(1,602×1019C)であったものが、やがて一つの輪につながったその瞬間から、×℮=の電荷量を持つリング状電子となって、新たな回転運動を始めるものと解釈される。

 そうするとこの一個の水素原子は、の陽電荷を持つ陽子と、同じくの負電荷を持つリング状電子によって構成されているのであるから、その水素原子全体が持つ正味の電荷量は結果的にゼロの値を示すことになり、ひいては、陽子の収縮場がもつ[k/r]なる求心力としてのその力は、その水素原子の外側においては、もはやなんらの作用も起こし得ない実質ゼロの状態になっていることになる。

 したがって「水素原子は電気的に中性でありその電荷はゼロである。」ということと、「陽子の収縮場が持つ力は水素原子の外側では実質ゼロになっている。」ということの二者が意味するものは、本質的に同一であるということができる。

 一方、第18章で述べた新たな段階に発生しているはずの三次元収縮場であるが、この円環状拡張場を纏ったリング状電子が持つより緩やかな収縮場は、水素原子の中に閉じこめられた状態にある陽子のより強力な収縮場とは異なり、その作用がおよぶ範囲は無限の彼方にまで拡がっているはずである。※{以後は円環状拡張場をまとったリング状電子を略して[円環状電子]と称するものとする。}

 そして、この円環状電子が持つ無限の彼方にまで作用する収縮場は、同時に一定不変な一個の水素原子が固有に持つ収縮場でもあるということができる。

 

✧ヘリウム原子と中性子の磁気モーメント及び重力の起源について

 我々が住まうこの地球は、実に夥しい数の原子分子の集合体であり、地球という大質量の一天体を構成するのがすなわち無数の原子分子であるといえる。ならば、その個々の原子はどのように形成されているのかと言えば、これは陽子中性子からなる原子核と、その周囲をめぐる陽子の数に等しい電子から成り立っている。

 原子核の周囲に展開する個々の電子は、当初のボーア模型のように一個の粒状電子が軌道運動しているというわけではなく、一つの輪に結ばれた円環状電子(円環状拡張場を纏ったリング状電子)になっているはずであり、それら個々の円環状電子は、その円軌道運動ならぬ回転運動を続ける限りは、無限の彼方にまで作用する収縮場をそれぞれにもっているものと考えられる。

ところでパウリの排他原理によると、ヘリウム原子内の原子核を中心に円運動する二つの粒状電子は、その自転の向きが上方向と下方向で互いに逆向きになるものでなければならず、そのために、両者の磁気モーメントは相殺されて、一個のヘリウム原子としてもその磁気モーメントはゼロであるものとされる。

 ならばそこで、本論におけるヘリウム原子はどうなっているのかと言えば、これは前章で述べた、陽子を構成する二つの小リング電子のなす磁気モーメントの相殺とまったく同様に、ヘリウム原子核の周囲に展開する二つの大リング電子の円環状拡張場が融合することによって、その磁気モーメントは相殺されてゼロになるものと考えられる。※{前章後半部の🔷を参照} 


 したがって、原子内のいかなる対の電子は、パウリの排他原理に従ってその磁気モーメントの向きが逆になり、結果的にその互いに逆向きの磁気モーメントが、その相殺現象を具体的かつ構造的に引き起こしているものといえる。

 そしてその二つの大リング電子は、やはり無限の彼方にまで作用する収縮場をそれぞれにもっているものと考えられ、前18章の陽子と同様に、一つのヘリウム原子全体としてもその安定性はきわめて高く、他の元素といかなる化合物をも作らない、いわばより純粋な孤高の原子であるといえる。

 またさらに、原子核内の中性子であるが、これは単独で取り出されると約15分ほどで陽子・電子・中性微子(標準理論では反電子ニュートリノ)に壊変する。中性子はその名のとおり電気的に中性なのであるから、このことは崩壊前には電荷をもたない中性の存在であったものが、崩壊の際には負電荷としての電子と中性微子を放出して、正電荷としての陽子に壊変したものと解釈することができる。

 ということは、崩壊前には電荷ゼロの中性の存在であったものが、崩壊後には正電荷を持つ陽子に壊変したのであるから、陽子に壊変する直前の中性子は、なんらかのきわめて不安定な円環状電子が、いまなお陽子の正電荷を打ち消す働きを為していたものと考えねばならない。

 したがって一個の中性子は、いずれにしても、正電荷を持つ陽子と、その正電荷を打ち消すように働いている円環状電子との複合粒子であるということができ、ゆえにこそ、その電荷はゼロであるにもかかわらず、中性子内の円環状電子が作り出す磁気モーメントが、それなりのごくわずかな値を持つのであって、先に述べた水素原子の場合と同様に、一個の中性子全体としては、やはり無限の彼方にまで作用する固有の収縮場を持っていることになる。 ※{0,966×10-26 jT-1}

 そうすると、水素原子を除くいかなる原子は、原子核の周囲に展開する円環状電子以外に、中性子内にも円環状電子を内在させているのであるから、いずれにしてもそれら全体の一原子としては、陽子と中性子の数の和(すなわち質量数)に等しい円環状電子を持っていることになり、同時にその原子全体は、その質量数に比例する強さの収縮場を持っているということになる。

※{たとえば鉄原子の場合、原子番号は26、質量数は56であるから、陽子と電子の数はそれぞれ26個、中性子の数は56-26の30個なのであるが、本論においては、中性子は陽子と円環状電子の複合粒子であるから、中性子内における円環状電子の数は30個であり、鉄原子全体における円環状電子の総数は26+30の56個となる。そして、その56個の円環状電子がそれぞれに無限の彼方にまで拡がる収縮場を有するのであるから、結果的に一個の鉄原子が持つ収縮場の強さはその質量数に比例することになる。}

  ならばそこで、地球という大質量の天体を構成するところの原子分子が、それぞれにその質量数に比例する収縮場を持っているというのであれば、個々の原子分子が持つその収縮場の力は全く微小なものであるとしても、その全体である一個の地球は、その全質量(約6,0×1024㎏)に比例したそれなりの大規模で巨大な力の収縮場を持つということになる。

  そしてその巨視的な収縮場が持つ力(地球を取り巻く大空間がみるみると収縮するときの力)こそは、ニュートン力学における万有引力の法則に従うところの、重力そのものに他ならないものと考えられるのである。 

🔷中性子は、そのベータ崩壊の前後でエネルギーや運動量の保存則が破れているように見えたため、パウリは「見えない中性の粒子がエネルギーを持ち去っている」と提唱した。

 しかしその中性の粒子すなわち中性微子は、本論においては実在するところのものではなく、中性微子が持ち去ったとされるそのエネルギーは、陽子にごく近い位置で高速度回転するリング状電子の円環状拡張場に、もとから内在されていたものと考えられる。

そしてベータ崩壊の際には、円環状拡張場のエネルギーは15分ほどの時間をかけて徐々に減少し、同時にほとんど光速度に近い値を持つリング状電子の回転速度も徐々に減少して、その半径も徐々により大きなものとなる。その際に、円環状拡張場が持っていたエネルギーはとびとびにではなく、連続的に放出されることになり、結局はそこに高速度で放出された通常の電子(16章で述べた棒状の電子)が観測されるものと考えられる。

 いずれにしても、パウリが提唱した中性微子は、そのエネルギー保存則において計算上でのみ現れるだけの概念的存在であると言わねばならず、これが実際に観測されることは永遠にあり得るはずがないものといえる。》

 

✧重力の有無について

 さて第1章で述べたように、よりミクロからの視点とよりマクロからの視点は180度異なる方向性をもつのであるから、この観測一般における二つの視点は互いに不確定性の関係にあるといえる。

 たとえば、よりミクロからの視点によってその森を複数の木々として観測するには、観測者は森の中に分け入り、その対象により間近な位置におらねばならず、この場合には一つの森全体を観測することは不可能であるが、個々の木々の観察はより鮮明となる。

 他方、よりマクロからの視点によってその複数の木々を一つの森として観測するには、観測者はヘリコプターに乗って、上空からより広い地域を見渡せる広い視野が必要であり、この場合には個々の木々を観測することは不可能であるが、一つの森がどこにどのように存在するのかがより明確となる。すなわち、一つの森を観測するには、よりマクロからの視点によるより広い視野が必要であり、そのためには観測者はヘリコプターなどに乗ってより高所に位置することがのぞまれる。

 一方、複数の木々としての姿をより確かなものとして観測するには、観測者はその対象により間近な場所に位置することがのぞまれ、上空のヘリコプターの観測者は、なるべくその高度を下げて森の中の個々の木々に近づかねばならず、この場合のヘリコプターの観測者は、より高い上空から低い位置へと降りてくるのに従って、その観測の視点はよりマクロからの視点からよりミクロからの視点へと、徐々に移行していることになる。

 ならばそこで、先述第9章〖重力の本質と曲がる光の経路〗で述べた、上空の彼方から落下する宇宙船であるが、これは上記のヘリコプターとまったく同様な状況にあることになり、当初、遠くのより小さな地球を観測しているときにはよりマクロからの視点であったものが、やがて地球が(大地が)みるみると目の前にせまってくるのにしたがって、その視点はよりミクロからの視点へと移行していることになる。

 しかし、地上において日々生活し活動している人間からみると、この地球は不変不動のより大きな座標系なのであって、我々地上の人間は、当初からよりミクロからの視点によってこの不動の地球を(大地を)観測していることになる。

そうすると、この場合の宇宙船の観測者は、よりマクロからの視点においてみるみると膨張する地球を観測し、地球という一天体が周囲の慣性空間をみるみると呑み込むかのように拡張するときに生じている、いわば物体の拡張力とでも言うべきその力が、地上の人間や、地表上に存在するすべての物体を常なる加速度をもって上空へと押し上げているのである。そして、その物体の拡張力を記述する座標系が、すなわち第9章で述べた第一座標系であるといえる。

 一方、よりミクロからの視点による地上の観測者によれば、自らの一定不変な地球には、地球がみるみると膨張するときに生じている物体の拡張力などというものは一切観測されるべきもなく、逆に地球を取り囲む三次元空間が、地球の中心点を目指してみるみると収縮するときに発生している、いわば空間の収縮力とでもいった力だけが観測される。そして、その空間の収縮力を記述する座標系が、すなわち第二座標系であるということになる。

この場合に、第一座標系における宇宙船の観測者にとっては、重力などといったいかなる場の力はどこにも見いだすことはできない。しかし、第二座標系における地上の観測者によれば、重力とは加速度的に収縮する空間が持っている現実の力であり、空間そのものが有しているその力こそが、実際に月の慣性運動を円軌道運動に変化させ、地表上のすべての物体を大地に固定させているのだと解釈される。

 したがって、第一座標系においてみるみると拡張し膨張する地球は、続く第二座標系においては一定不変な大きさを持つ一天体として現れていることになり、この場合にかつての第一座標系は、その不変な地球の中心点を目指して、みるみると吸い込まれるかのように展開する収縮場に変貌していることになる。

 ということは、地球の拡張(膨張)を記述する第一座標系は、第二座標系における地球の収縮場へとその姿を変えて現れているのであるから、大地にたたずむわれわれ地上の人間にとっては、第一座標系は表には現れず、常に第二座標系の中に埋め込まれていることになる。

 そうすると第9章で述べたように、物体の拡張力とは、物体が物体に直接作用するときの具体的な力(接触力)であるにもかかわらず、この第一座標系において記述される拡張力は第二座標系に埋め込まれているのであるから、これを見出すことは永久に不可能であると言わなければならない。

 そして、月は地球の周りを約27,3日で、地球は太陽系を1年で、また太陽は天の川銀河系をおよそ2億2600万年で1周するといった、段階的な各天体の周回運動も、すべてはその各段階におけるそれぞれの収縮場の働きによって実現しているものと考えられ、この場合に、地上に固定されているいかなる観測者が、みるみると膨張する地球の姿を観測することは、いかなる手段を駆使しようとも永久になされるべきものではなくなっているのである。